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透析に入ったとき、その後の気持ちの変化

体重67.7kg 体温36度 血圧127/83 飲水量2200ml 尿量2280ml

初めて透析をすることが決まったとき、正直信じられませんでした。
「透析をすることになると思うよ」と医師から告げられたときも、まだ未来のことだろうと漠然と考えていましたし、具体的に今度の何日から始めると言われた時には、やはりかなりのショックを受けました。

音楽学校に入ったばかり。。。週に2日は3時間の透析に通うことになります。それも移植をしない限り一生。ちょっと目の前が真っ暗になった感じでした。
悪夢であって欲しい。。。朝目が覚めると、「ああ。。やっぱり現実だ」と何度思ったことでしょう。

導入の頃は体が慣れなくて、とってもだるく、歌なんてとても歌えません。
音楽学校ではオペラ科に通っていましたから、アリア1曲だけでも相当なエネルギーが必要です。

最初の頃の歌のレッスンでは、ドレミレドの初歩的な簡単な発声練習ですら、息が持ちませんでした。
歌のコースは5年間で、私は編入という形で4年生から入りましたので、5年の終了試験に向けての準備を始めなければならなかったのですが、こんな状態で先生も困っていました。

腎不全のとてもだるい時期も辛かったのですが、だるくて歌も歌えないこの時期が更に辛かったように思います。

体が慣れ始めたのが、やはり1年後位でしょうか。7月に終了試験を受けたときも、沢山の曲を歌わないといけないのですが、殆ど負担の少ない簡単な曲にしてもらって、やっと終了した感じです。

それからはだんだんと体の調子も落ち着いて、歌も普通に歌えるようになってきて、初めて気持ちの方も透析をしながら頑張れる、大丈夫だ!という気持ちになってきました。

オペラ科を終了してから、歌曲科、教育声楽科(教育者の為のもの)、音楽学校が大学になってから、更にまたオペラ科に籍をおきました。
体重管理に気をつければ、それだけ除水も少なくなるし、比例してだるさも軽減します。
コンサートも普通にこなしていました。

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プロフィール

Yさん

Author:Yさん
イタリアへ留学して15年。月日の経つのは早いものです。
留学して6年目に腎不全になり、翌年から透析開始。
それから8年待って、ようやく献体腎臓移植をすることができました。
腎不全、透析、移植について、また音楽、イタリアについても書いていきたいと思います。

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